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性善説とはどういう意味?そのメリット・デメリットも紹介します


「性善説」という言葉を聞いたことがありますか?

簡単に言えば人間は生まれつき「善」の要素を持っていて、悪人になるのは成長していく過程で何か悪に染まるような出来事と出会うからであり、何も悪の要素と出会わなければ善人のまま大人になるという説です。

この「性善説」には賛否両論あり、人それぞれ意見が違うようです。

今回は性善説の意味、また性善説のメリットとデメリットについてお伝えしたいと思います。

この記事の目次

性善説を信じていますか?

「人間の本質は善である」「いやそんなはずはない!」と、性善説に対する意見には個人差がありますが、あなたはどう思いますか?

性善説とは?

中国古代の儒者である孟子によって唱えられた説で、道徳説の根本と言われています。

全ての人の心には生まれながら「善」への可能性があり、その可能性を発揮することで誰でも聖人のような人間になることができるとされています。

悪い罪を犯すのは、先天的に備わっている「善」のことを忘れているだけで、本質的に悪人ではない。

つまり「この世に悪人などいない」という意味ですね。

1.人間の本性は善である

人間の本性は善である性善説を説明している
孟子の人間観によれば人間は生まれつきの善人で、放っておけば悪に手を染めることもあるが、きちんと育てれば必ず善人に育つというのが性善説の定義です。

現実的に考えれば、毎日凶悪犯罪が起こっているこの世の中において、全てが善人であるとは考えにくいです。

しかしそれは悪の方に寄り道しているだけであって、誰かが正しい道を教えてあげれば生まれ持った善の心を取り戻すということになります。

また戦国時代を生きた孟子が、道徳的な理想を掲げる必要性を感じて解いた「性は善であるべき」という説が風化して「性は善である」に変わったという説もあります。

2.儒教の考え方

「性善説」は全ての人には先天的に善の兆しが備わっているとされる説です。

善の兆しというのは儒教の考え方で人間が兼ね揃えている「四端の心」と言われます。

四端の心
「惻隠(そくいん)」:他人の苦悩を見過ごすことができない心
「羞悪(しゅうお)」:不正を憎む心、恥を知る心
「辞譲(じじょう)」:譲る心、へりくだる心
「是非(ぜひ)」:善悪を見分ける心
これらを拡大することで「仁・義・礼・智」という4つの徳を完全に発揮できるとされました。

性悪説と対角線上にある

性善説と対角線上にあるのが「性悪説」です。

読んで字のごとく人間の本性は「悪」であるという説で、孟子の唱えた性善説に対抗するかのように唱えられた説です。

1.性悪説とは?

人間の本性は「悪」であり「善」こそが後天的努力によるものだという説です。

生まれつき無限の欲望があり、放っておけば他人と衝突ばかりして争いばかりの世の中になるので、人間の欲望を制することこそが社会の秩序を保つ方法だとされています。

つまり「善」は全て「偽善」であり、何かの思惑がなければ善い行いができないということです。

ただし努力次第では克服できるので、持続して努力することが重要だという主張でもあります。

2.誰が唱え始めた?

性善説を誰が唱え始めたのか考えている
「性悪説」は中国の思想家である荀子(じゅんし)が唱えた説です。

孟子の「性善説」に対抗して唱え始めたわけではなく、人間の悪い面を強調することで逆に悪の道に進まないようにするという目的が含まれています。

聖人というのは生まれつき善の心しか持っていないわけではなく、あらゆる努力をした結果悪を克服した人間のことであるとして、自分自身の悪を改善する努力の重要性を訴えています。

性善説を信じたい人は非常に多い

世の中には性善説を信じたいと思っている人が非常に多いです。