人はどうしても自分の思い通りにならなければ怒りを感じます。
その矛先がパートナーに向けられることも多いでしょう。
なんとか怒りたくはないと思ってはみても、どうしても怒りに震えたり、怒りが
収まらないということはあるものです。
今回はそんな怒りはどのように感じるのか、また喧嘩の乗り越え方を紹介します。
ぜひ参考にしてみてください。
怒れる相手とは信頼関係が築けている
そもそも怒るということはどのようなことでしょうか。
怒るというのは感情が高ぶり、腹を立てることです。
腹が立つと思わず声を荒げてしまったり、罵倒してしまったり、思いをぶつけてしまいます。
ただ、怒れる相手というのは誰にでも、ということではありません。
まったく見ず知らずの人に腹が立つからと言って怒ることは人として許されるものではないのです。
つまり怒れる相手というのは、ある程度の信頼関係を築けている相手であるということがあります。
信頼しているからこそ相手がやらかしてしまったとき、怒る行動を取ります。
怒ることで相手に反省して欲しい、謝って欲しいという気持ちがあります。
ただ怒られた側は身に覚えがあれば怒られても仕方がないと反省しますが、もし相手が理不尽に怒っている場合は納得できないことがあるかもしれません。
いくら信頼関係が築けていても礼儀というのは大切でしょう。
素の感情をぶつけられる
基本的に怒れる相手というのは、素の感情をぶつけることができる相手であることです。
では人はなぜ怒るのでしょうか。
怒る理由はそれぞれですが、例えば突然連絡が取れなくなって所在不明になり探しても見つからず、心配しているところに何事もなかったかのように本人が現れるとホッとすると同時に怒りがこみ上げてくることでしょう。
心底心配しているからこそ相手に怒りがこみ上げ、その怒りをぶつけてしまうこともあります。
それほど親密な関係の相手ほど怒りを感じることが高くなると言っていいでしょう。
逆に考えると、あまり怒るような感情が感じない相手であれば親密度は低く、さほどの関係ではないと言えます。
怒るのは自分の気持ちを不安にさせられたことからこみ上げてくるということなのです。
怒っても許し合えることを分かっている
怒れる相手とは怒っても許し合えることが分かっている相手であると言えます。
それほど親密な関係だとも言えるわけです。
恋人や家族、親友といったよく気持ちが分かり合える相手であればこそ怒るということになります。
怒るということは感情の高ぶりです。
思わず腹が立って怒れる相手というのはすべてを受け止めてくれることが分かっている相手だと思って甘えているのです。
怒ってはいますが、それは相手に対して甘えています。
つまり甘えられる相手が怒れる相手である、ということも言えるのです。
相手の為に怒っている
人に対して怒るというのは時に相手の為を思っての行動であることがあります。
大切な人が何かをやらかしてしまったとき、注意をすべくそれが怒るという方向へ進むことがあるわけです。
もしやらかしてしまったことが大きければ大きいほど怒る度合いは高く強くなります。
怒るということは相手のことを思って取る行動であること以外に違う意味で取る行動もあります。
それはストレスが溜まっているときです。
特に誰かが何かをやらかしたということではなく、大きなストレスを抱えた本人がストレス発散のために怒りを当たり散らすという場合もあるのです。
つまり理不尽な怒りと言えるわけです。
怒りは人の感情の高ぶりが起こす行動であるため、怒るシチュエーションはいろいろとあるということが言えるでしょう。
しかしなるべく怒りたくはないもの
人は怒られることが苦手です。
ですが怒る方も嫌なものなのです。
なるべく怒られたくありませんし、怒ることもしたくないものです。
そうは言っても人は怒りに対しては感情が直結しています。
腹が立つとほとんどの人はイライラします。
そのイライラを発散しなければどんどんそのストレスが溜まっていきます。
怒ることで自分の中では処理することができない感情が起きるのです。
人は日々平穏な気持ちで過ごすということはできません。
生きている限りは対人関係や仕事、身に起きるすべてのことがどんどんと目まぐるしくやり過ごしていきます。
その中で恋人や家族など親密な人から受ける怒りの元となる出来事があることも生きている限りは仕方がないことです。
怒りたくはないけれど怒らざるを得ない状況が生きている限りは続くと言えるでしょう。
ストレスが溜まる
怒った経験がある人は怒るとストレスを感じた経験があるのではないでしょうか。
意外と怒ることでストレス発散できると思われがちですが、実際は逆です。
怒るときはほとんどの場合、自分以外の他人から影響を受けて怒りへと変わります。
他人から何か文句を言われたり、理不尽なことをされたり、またあってはいけないことですが暴力を振られたり、他人から何かされることで自分自身の気持ちの苛立ちや腹が立つことで相手に気持ちをぶつけます。
それが怒りとなります。
このような状態は外部から何かしら悪い影響を受け、自分の気持ちが不安定になるものです。
そうなってしまうと人はとてもストレスを感じます。
そしてそのストレスによって気持ちを爆発させることはもっとストレスが溜まるのです。
ただストレス発散タイプのときもあります。
それは自分の虫の居所が悪いときです。
毎日のイライラを怒りとなって誰かにぶつけることでストレス発散できます。
ただその怒りをぶつけられた相手が先に説明した他人から悪影響を受けてストレスが溜まって怒りを爆発させるということになります。
つまり負のスパイラルによって人間関係はお互いに悪いことが影響し合って行くということでしょう。
喧嘩になってしまう
お互いに怒りをぶつけ合うことは良いことではありません。
確かにどちらかが間違っている考えを持っていることに怒りを感じることはあり、それに対して怒ったり叱ったりすることがあります。
ただ人は自分が常に正しく生きていると思っているので、誰かに間違いを指摘されたり怒られたりすることにこちらも怒りとなって気持ちをぶつけることもあるでしょう。
そうなると喧嘩になってしまいます。
どちらも引くことができない状態が喧嘩させてしまうのです。
どちらかが引けば済むことですが、それができないのが人の心情でありプライドです。
自分のプライドを保つためには怒ることは必要なのです。
ただ自分の間違いを認めることは人として成長させることができます。
それができないために人はストレスを溜め込んでいきます。
喧嘩をしても良いことがないことは分かっているのに変なプライドが邪魔をするということなのでしょう。
怒る事に疲れを感じる
怒る事はとても疲れます。
できることなら怒らないほうが人は平穏に生活していけます。
ですがそんな平穏な日々は長くは続きませんし、怒りという感情がある以上人はこの怒りと向かっていくことになるわけです。
人は平常心で生活していくことが理想です。
気持ちが揺れ動くことがなく、常に普通に落ち着いて生きていきたいと誰もが思います。
そんな気持ちに水を差すのはいつも他人です。
自分が生きて行くだけで精一杯であるのに、他人から水を差されることはつまりは平常心ではいられなくなるということです。